こんにちは ちーCafé☕へようこそ
看護、介護の世界にいると、患者さんから頼まれることが日常ですよね。
目次
1.どこまでが生活援助?
2.気持ちよくできるかどうかの境界
2-1 頼む側の姿勢が、開き直っているかどうかということ
2-2頼まれる側が、サービスの範囲内でできることか、おもてなしとしてできることか
についてお話をしていこうと思います。
1.どこまでが生活援助?
当然、病気でできなくなっていることや、制限されていることもあります。
そういった患者さんを手助けしつつ、いかに回復に向けるか、いかに病状を悪化させない環境が作れるかといったことを患者さんと一緒に構築していくのが看護なのであって、
そういった患者さんの手助け、いわゆる生活援助という名の身の回りの世話をするのです。
看護の中では、安全・安楽といった言葉があります。
安全に、安楽に過ごせるように援助する、つまり、生きる上で必要なことを心配することなく、かつ、快適に過ごせるようにという目標があるのだということ。
それに関することは、看護サービスの中でするべきことなのでしょう。
問題は、快適の域。
最近いた患者さんの例でいうと、
体重110㎏、糖尿病で寝たきりで、心不全と肺炎を併発。
太りすぎて動けず、自分で寝返りもできない。
点滴やバイタル、モニター管理は当然のこと、体位変換、や食事介助もしますが、
しょっちゅうナースコールで呼ばれては、「肩揉んで。」
これ、気持ちよく対応できます??
確かに苦痛なんでしょうけれども、生活援助ではない。快適の域も超えているように私は感じました。
2,気持ちよくできるかの境界線
この時、どうしてこの依頼に対して気持ちよく対応できないと感じたのかという疑問が沸いた訳ですが、
私の結論は2つでした
1つ目は、頼む側の姿勢が、開き直っているかどうか
2つ目は、頼まれる側が、サービスの範囲内でできることか、おもてなしとしてできることか
詳しく解説すると
2-1 頼む側の姿勢が、開き直っているかどうかということ
例えば、その患者さんは、付き添いの妻に「肩揉んでよ、はやく。」というように話していました。できたら看護師にしてもらいたいと言わんばかり。
妻がいない時は平気で看護師に言いますし。
それって、自分ができないことに開き直ってしまっていて、してもらうのが当然かのように聞こえませんか。
これが良くない。
自分でできなくなるまで太ったのは紛れもなく長年節制できなかった自分にも責任があると私は思います。
「申し訳ないけど、それ、人にものを頼む態度じゃないです。いくら奥さんでもそれは違うと思う。それはどんどん自分を苦しめることになりますよ。」
と私はお伝えしました。
私は、患者であろうと、人の道を外れることに関しては言いなりにならないようにしています。
なので、こういったことはハッキリ言うようにしています。
その患者さんはよほど素直だったのか、私が怖かったのか(笑)、「はい。できたら揉んで欲しいわ。」と言い直されました。
なので、そのあとちゃんと肩揉ませて頂きました。
2-2、頼まれる側が、サービスの範囲内でできることか、おもてなしとしてできることか
これは、この時に限ったことではないのですが、いつも思うことは、
看護サービスとしてしなければいけない内容か、
おもてなしとして患者さんに喜んでもらいたくてすることなのか
を自分の中で整理しておくといいと思うのです。
例えば、入院中の患者さんに、シーツが乱れてきたから直してと何度もナースコールをされるご婦人がみえました。
その都度直すのですが、これは私の中では快適に過ごして頂くための看護サービスでした。
当然看護師としてするべき仕事という認識です。
ある日、その後夫人が術後にようやくシャワーに入ってもよいという許可が出て、シャワーに入られたのです。
その時私は、ご婦人がシャワーに入られている間にシーツ交換をし、ベッドメイキングをピシッとして、いつも使われている毛布を丁寧に敷きました。
それがいつも乱れてしまうので、ずれないように洗濯ばさみで固定しておいたのです。
シャワーから帰ってこられたご婦人は、とても喜ばれ感動されていました。
これは、この患者さんはこうしたら絶対喜んでくれるだろうと思い、計画的にしました。
ただ、これは看護サービスではなく、おもてなしという気持ちでしました。
どの看護師も当然やるべきことではない、ということです。
汚れたから、ではなく、喜んでいただくおもてなしということを意識してしました。
ただ、そのおもてなしとしてという認識があると、
看護師がそこまでしないといけないとか、
おもてなしの心でできないものは無理をしてしなくてもよい
と割り切ることできるかと思うのです。
ゆとりのある時に、何か喜んでいただく、感動していただけることをしたいと思うのであれば、おもてなしの心で対応してみると、
させられているとか、しなければならない、ではなく、喜んでいただこうという素直な気持ちでできることもあるのではと思います。
ぜひ、日常の心の整理の参考になれば
では、また